変わり行くNY・・・変わらない友情

先日、大学(FIT)時代の友人がNYに訪れました。6年前に銀座で会ってそれ以来の再会でした。相変わらず元気そうにしていた友人・・・。

友人が学生時代住んでいたアパートへ行ってみたいとのこと、早速行ってみました。友人が住んでいたエリアは、わたしたちが学生時代だった時代とは、様変わり・・・。今は、あの時代を思い出すことさえ難しい。良い意味で、安全な場所。悪い意味で観光地になってしまっています。

友人が住んでいた場所は、まだまだタイムズスクエアが汚くて、安全ではない場所だった時代のタイムズスクエアです。あまりの発展に友人もビックリしていました。

(余談ではありますが、偶然にも友人のその晩の宿泊場所は、タイムズスクエアのWホテル。覚えているかしら?Wと言えば、2011年東方神起がSMTでNYへ来た時に、宿泊したホテルです。)

その晩の食事をどこにするか考えながら、47thSterrtの7thAveから西へ向かい、8thAve、9thAveの道まで行ってみました。この辺りの地域の発展は目を見張るものがあります。15年ぐらい前までは、まだまだ気味が悪い雰囲気が漂っていました。ましてや、わたしたちが学生だった頃は、行ってはいけない場所でした。そんな場所が今では、沢山のお洒落なレストランが立ち並び、昔の思い出しかない友人には、俄かに信じがたい光景が目の前にあったようで、ビックリしていました。

そして、友人がぼそりと・・・

でもさぁ~。なんか詰らなくなってよね。マンハッタンの中ってどこへ行っても小洒落な場所になっちゃって・・・。昔の汚くて怖いって危険な匂いの漂う場所って言うのが消えちゃって!確かに、わたしも最近そう思います。

わたしの学生時代のマンハッタンへ行くと、あまりにも気を張って歩いているから疲れたものです。つまり常に緊張して歩いていた記憶があります。今はその良い意味での緊張感が全くないことに気が付かされます。

人々にとっては、NYが安全で住み易い街へ変貌したのは良いことでもありますが、その為に、家賃は高騰してしまいました。

NYは、まだまだ変貌して行くでしょう。今や不動産の高騰とマンハッタンだけに留まらず、ブルックリンやクィーンズまでにも及んでいます。

そうそう、そんな感じで西の方から、今度は東へ向かって歩き、日本から来た人には珍しくもないNYで、なんちゃってじゃない和食と日本酒を提供するレストランへ行くことにしました。

その店の名前は酒蔵、もうオープンして随分経つ店で、今一番の旬なレストランではないのですが、なぜかこのレストランがわたしは好きです。日本から来た人が気に入るか心配しましたが、思いのほか気に入ってくれて安堵しました。(今年の初めにLAから来た友人とも訪れました。その友人も気に入ってくれました。)

この晩のクライスラービルディングは、とってもハンサムでした。こういう写真が撮れるのがNY!どこの街角でも、素敵なんです。だから、嫌なところも汚いところもあるけどNYから離れなれない理由なんだろうなぁ~と思いながら、この写真を見ています。(笑)

レストランへ着きました。そして・・・

まずは、友人お薦めのスパークリング酒で、久々の再会を祝いました。

前菜の黒枝豆、豆腐サラダと冷奴!サッパリしたものをとの友人の希望で、前菜はこの3品になりました。友人曰く、黒枝豆は日本より美味しいと言っていました。

店内の雰囲気はこのような感じです。モダンの中にも木を沢山取り入れたインテリアで、和のテイストを演出しています。

次のお酒は、やはり友人お薦め喜多屋の純米吟醸!なんでもこのお酒とっても貴重なお酒のようです。今日本で流行りの高級寝台列車のダイニングでしか飲めないお酒とか?飲みやすくて美味しいお酒でした。グラスも江戸切子で、お酒の味を向上させます。←器やグラスは食べ物や飲み物の味を変えるとわたしは信じています。視覚から得る情報は、味覚を変えると思います。はいっ!

締めは、お蕎麦にしました。ここのお蕎麦は、ちゃんと打ってます。しかもわたしの好きな更科です。久々の美味しいお蕎麦に満足でした。NYでも美味しいお蕎麦食べることが出来るようになったんです。一昔じゃ考えられないことです。こういうのは良い意味でのNYの変貌ですね。

デザートは、お酒のパンナ・コッタとアイスクリーム。これまた手作りで美味しゅうございました。

こうやって久々に会った友人・・・だけど、変わり行く周りの状況の中で、友情ってのは時間が経っても遠くに離れていても変わらないものなんだと、なんだか嬉しかった、そんな素敵な夜でした。

また、会えると良いなぁ~。と願いながら・・・

 

東方神起がいなかった時間

東方神起が兵役の為、期間限定で活動を休止したのが2015年、あれから約2年が経とうとしています。2年という短くない時間・・・東方神起に明け暮れていた時間が一気になくなると、私はどうなるのか?どのように東方神起が居ない時間を過すのか?少しばかりな不安な気持ちを抱えながら・・・2015年の年の暮れを日本で過しました。

たまたま、NYの友人がソウルへ行くというので、東方神起と全く関係ないことで、2016年の年明け早々ブラっとソウルへ向かいました。

2016年の冬、雪がチラチラ舞うソウル街を景福宮近くのホテルの窓から・・・東方神起の国に来ているのに、東方神起は芸能界にいず、そして当分逢えないと思うと、センチメンタルな気分になりました。

しかし、

時というのは、本当に無情です。

東方神起を恋しいと思ったのは、正直最初の半年ぐらいの期間だけでした。

その後は、自分のことを考えることに精一杯の自分がいました。ユノやチャンミンには本当に申し訳ないと思いつつ、忘れていることが多かった2年間でした。

そして、私はまた兵役中の東方神起のユノとチャンミンをネットで敢えて追うことをしませんでした。どうしてなのか?自分でも分かりませんが、軍隊生活の中の東方神起には、興味を持てなかったこと、これが最大な理由です。

私の好きなユノとチャンミンは、スーパースターのオーラを放っているキラキラ輝いる王子様姿の東方神起の2人だからです。

つまり、軍服姿のユノや警察の制服姿のチャンミンを見ても、全くと言っていいほどピンと来なかったのです。それでも、たまにTwitterで流れてくる真っ赤な軍楽隊の凛々しい制服姿のユノや、警察の制服を来て頑張っているチャンミン姿は、元気でいることを、わたしに伝えてくれる嬉しい便りでもありました。

自分たちの国の義務を果すべく、本来の自分たちのしたいことを国の為に犠牲にしなければならない2人の姿は、私の胸を痛めました。そして、戦争という暗い影を思い出させました。

そして、未だなぜ?韓国には兵役制度が必要なのかを、改めて考えさせるものでもありました。

わたしにとっての東方神起は2.5次元の貴公子達であり、現実から逃避できるドアを開いてくれた2人でもあったわけなのです。ですから、その2人の今の現実を見たくないと言うのもあったのです。

そして、

ユノやチャンミンが兵役中の頑張っている頃、わたしもわたしなりに色々なことがあって、色々なことを考えました。

そんなわたしの約2年間も、あっと言う間過ぎて行きました。

気が付けば、ユノは除隊し、チャンミンの除隊まで100日を切りました。そう思ったら、今の現実のチャンミンの姿を久々に、じっくりと見ることが出来ました。

ユノもチャンミンも芸能人として色々な人に守られていた時間と間逆な・・・軍人として過した時間、一体どんなものだったのか?考え深いものがあります。若者の一番キレイで輝いている時間を、国の為に犠牲にすると言うのが、どんなに大変なことか、わたしのようなものは、理解も出来ないことです。

2年間という決して短くない時間は、人の気持ちにも変化が現れます。どんなに好きな恋人でも、長い時間逢わないと気持ちが風化してくるのです。ましてや、ファンとスターの間はもっと顕著に現れるでしょう。芸能界を2年間不在にするというのは、芸能人にとって不安以外の何でもないと思います。

あんなに東方神起が人生の全てと思っていたわたしでさえ、逢えない時間が長ければ長いほど気持ちは風化し、熱い感情は沈静化され、これ以上待たせると心は冷えて行きます。

2年という時間が、人を好きでいられるタイムリミットと、わたしはつくづく感じています。

8月にチャンミンが除隊し、東方神起は完全体になります。その時に、このわたしの心に、また熱い息吹を吹き込んでくれるには、東方神起以外ないと信じています。

わたしは、待っています。8月のその時を。

東方神起を信じています。

ユノとチャンミンは、わたしの期待を裏切らないことを・・・。